みなさんこんにちは!百太郎です。
昨日は出張のためブログををお休みさせていただきました。
で、そこでも書きましたが、本当に走り書きのつもりで書いたこの記事が検索上位になったおかげか、アクセスが増えました。
走り書きの記事が人を集めて、狙いを持って書いている記事があんまり読まれていないのかと思うと、すこし寂しい気分になるなりますが、何をキッカケにしてもこのブログの存在を知ってもらえるなら、まぁ良いかと自分をなぐさめています。
検索して来てくれる人がいることがうれしいと思ったのと同時に「𠮟る」という行為がそんなにみんなを悩ませているんだと言うことを感じました。
「褒めて育てる」いうことが大きく取り上げられ「褒めること」が人を育てる最良の方法である!みたいな広まり方をして以来、「叱る人=悪い人」みたいに扱われるようにもなっていますよね。
私が務めていた学校現場でさえ、「𠮟る」「怒る」という行為が危険視されていました。
ほんとうにそれでいいのかなーと思うので、私見をまとめてみたいと思います。
怒ってはダメなのか!?
私はよく怒っていました。そしてよく怒られていました。
感情的に怒ってはいけないとよく言われますが、感情的に怒ることもありました。
教え子たちにも「先生にはよく怒られました」って言われます。でも、その子たちは離れていきませんし、立派に成長してくれたと思っています。
これだけだとただの怖い人ですが、私なりに気をつけている事はありました。
感情の背景
怒るというものは感情をぶつけるということです。
喜ぶ、悲しむ、妬むなどと同じような感情の一つです。
他人から感情をぶつけられた時、その感情の背景が理解できれば共感したり、納得したりすることができます。
例えば、涙が出るくらい喜んでいる人がいるとしましょう。その背景に何があったかわからなければ、共感したり共有することもできませんよね。だけど、そこに就職が決まったとか、子供が生まれたとかという背景が見えると、喜んでいるのを理解出来ますね。
怒るという行為もこれと同じで、怒られる人が、怒っている人の背景を理解できれば、怒られていても納得ができ消化できるとおもいます。
私はこの背景を相手に見せるということを大切にして来ました。
怒っている要因を伝える
人が怒りを持つのは、もう一つの感情があると思います。
例えば、自分の子供が夜遅くまで帰ってこないとき、心配して不安になりますね。その「不安」から怒りが生まれて来ます。
この時に、「何時だと思っているんだ!もっと早く帰ってこい!」という怒りの感情だけを相手に投げつけるのではなく、自分が怒っているのは「不安」な気持ちになっているからだというもう一つの要因を相手に示してあげることで、怒られている側も理解がしやすくなります。
本当の気持ち
褒めることが良い方法と言われ出してから、なんでもかんでも褒める人が増えました。本当はそう思っていないのに、褒めなければいけないという義務感から、無理やり褒めるとこを探しているような人もいます。
こんな作った感情はすぐにバレてしまいます。そして相手にとってはなんのプラスにはなりません。
私が心がけて来たことは、怒るときも褒めるときも絶対に本心であることと、その相手のために良いと思うことはほめる、ダメだと思ったことはダメだと言うということでした。
あたり前のことにように思いますが、実際はこれが難しいんです。
一番ダメなのは、自分の評価や立場を守るために、怒る人です。
上司に怒られたくないから、後輩を怒って自分の責任を逃れようとしたり、自分はその失敗とは関係ないというアピールを周りにしたりする場面がよくあります。
私がよく体験したは三者面談のお母さんです。
三者面談で、生徒に改善して欲しいことを伝えると、
多くのお母さんは、「家でもいつも言ってるんですけど、いううことを聞かないんです。ちゃんとしなさいね!」って怒ったふりをします。そんなとき、ほんとうに家でも指導されている生徒は、素直な反応を示しますが、実は家ではそんなことは言われていない生徒だと露骨に母親の態度に嫌悪感を表します。
これが積み重なっていくと少々褒めようが何をしようが関係は改善されません。
自分の保身のためや、スキルとして褒めたり怒ったりするのではなく、本心で向き合うことは重要です。
平尾誠二さん「人を叱る4つのポイント」
最後にもう一度平尾誠二さんの「人を叱る4つのポイント」を載せておきます。
部下を叱る時の4つのポイント
1、プレーを叱るけど、人格は責めない。
2、あとで必ずフォローする。
3、他人と比較しない。
4、長時間叱らない。
ここに私が付け加えるなら、
5、自分のために叱らない。
6、感情の要因を相手に伝える。
この二つぐらいでしょうか。
怒ることだけではなく、感情をぶつけ合うことは避けられる風潮が強くなっているように思います。
素直に感情をぶつけあえるような人間関係が世の中に広まっていくことを期待します。
そのために、自分の経験が誰かの役にたてばと思っています。