みなさんこんにちは!百太郎です。
少し間があきましたが、今回はグラッサー博士の選択理論のお話です。
みなさんは日常の中で誰かの板挟みになったり、自分の今の状況と欲求に葛藤したりすることはありませんか!?
葛藤とは
①心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらを選ぶか迷うこと。
②人と人が互いに主張しぶつかるとこ。
とあります。
ダイエットしたいけど、甘いものも食べたい。
親元を離れたいけど、親のことも心配。
今のパートナーはとうまくやりたいけど、実は新しい人に惹かれてる。
これが葛藤ですね。
生きていれば、小さくても大きくても葛藤することありますよね。
どっちでもいいや!ってすぐ吹っ切れることもあれば、その葛藤の中でもがき苦しまなければならないこともありますよね。
葛藤の解決の仕方
葛藤に焦点を合わせない
葛藤してるのに、そこに焦点を合わせるなってちょっと無理やん!って思いましたが、グラッサー博士が言いたいことは、悩んでる自分に陶酔していてはダメということだと思います。
そして、いつまでも葛藤の中にいる人はそれを選択しているのであって、そうすることで努力することや現実を見ることから目を背けていると言いたいわけです。
たしかに悩んでいる間は次の一歩を踏み出さなくてもいいですもんね。
本当になんとかしたいなら
葛藤の一部ではなく、自分ができることに焦点を合わせることが大切です。これがうまく解決する唯一に近い方法なんですって。
ちょっと、葛藤していることから目をそらしているだけのように思いますが、深く読んで行くと自分のコントロールできることに目を向けることで、活路を見出すことにつながると書かれています。
たしかに、自分がコントロールできないことに時間を費やすくらいなら、少しくらい遠回りでも、やれることをやる方がなんらかの兆しが見えるようにおもいます。
例えば、とっても大切だった人と別れてしまった。その相手はもうあなたの事をみていなく新しい恋に進んでいる。そこに、あなたの心を揺さ振る人が目の前に現れた。幸にも新しい人もあなたに好意を持ってくれているようだ。
だけど、あなたは別れてしまった人のことが心から消し去れず、次に進むことができない。
こんなとき、あなたにできる葛藤の一部ではないものって何でしょう?
私は、グラッサー博士の本を読みながら大変悩みました。
そして何度も読むと、少しわかった気がしたのは、選択に迷うことに直面したら、その場で答えを出したり、立ち止まってしまったりするのではなく、自分が選択する気になるまで、もしくは選択できるようになるまで、違うところに焦点をあて行動してみると言うことが大切なのかもしれないと考えました。
そして、もう一つ。
グラッサー博士の選択理論を理解することに行き詰まったときに、ほかの書物を読むことで、一気に頭の中がスッキリする体験もしました。
このたとえ話でいうなら、一旦現れた人や心に残っている人から目をはずし、より自分を磨くことに時間を使ってみる。とかっていうことになるのかなと思います。
目線を変える。
シンプルだけど、難しいことが葛藤を解決する方法なのかもしれません
この辺りはまだまだ私も勉強します。
少し余談です
この葛藤の解決の仕方の章で、グラッサー博士はカウンセリングの例をあげています。
その例が、田舎で農場を経営している男性と生活を送る女性の前に、旅をしながら写真を撮っているカメラマンが現れる。女性はそのカメラマンに恋をしてしまい、家族をおいて農場から出て行こうかと思うが、家族のことを思うとそれができない。自分の人生は終わってしまった、と悩む女性にカウンセリングをするという話になって居ます。
男性カメラマンが撮りに来たのは屋根のついた橋。田舎の名前はマディソン郡。
ここまで書いたらある程度の年齢の人は分かりますよね?
そう、あのクリントン・イーストウッドとメリル・ストリープが出演した「マディソン郡の橋」がここに出現するんです。
実はかと思いながら読み進めて行くと、どんどん頭の中に「あれ、もしや?」が浮かんで来ます。
そして、その章の最後に、実は「マディソン郡の橋」ですよってわざわざ脚注がつけられています。
よっぽど好きだったんですかね😅